零号機

名前:

タイトル:

URL:

Mail:

内容: (携帯絵文字の入力)


文字色:

パスワード(3〜8文字):
7064



新劇でのレイ

[1] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/6/3 13:10 (Thu) No.145

何より自分的に意外だったのが「ラストに生きていてくれた」って事に対して自分自身に残った微妙な感情。

「シンジとの未来が得られないのなら、いっそ消えてしまってくれても良かったのに……」と思ってしまった
自分に苦笑してました。
私ってそんなにLRS人だったっけ?www

それはともかく、既にあちらこちらで指摘されているように、やはり何より、ラスト前のロングヘアーの綾波と
シンジとのやり取り、ありゃ〜薄味過ぎますよね。「綾波レイ」だからこその少ない言葉だったの「かも」しれませんが、
シンジのあの素っ気なさは「破」のエンディングや「Q」での騒ぎ方を考えると、やはりかなり不自然だと思います。

しかし、今、改めての噛み締めてるのは、制作側は「綾波レイを描こう」とは思っても「綾波レイの物語を描こう」という
意識は最後まで希薄だったんだろうな、ということですかね。今回の「シン」でいえば公式側が言うところの「別レイ」を
描くことはしても、その「別レイ」を「綾波レイの物語」の中で描くことは、ほぼほぼ放棄している気さえします。
いくらなんでも長髪のレイにコダマの人形抱かせるだけで「同じ綾波レイです」とするのは都合良過ぎでしょ。

ちなみに似たことはアスカにも言えることで「式波」にわざわざ新たにクローン設定を追加することに一体何の
意味があったのかなぁ。旧劇とは別種の孤独をわざわざアスカに加えて描きたかったことって何だったんだろう?

因みにあのシンジの大人アスカに対する告白(?)後のアスカのイジイジってやったら可愛いかったけど、これも
私的にちょっとアスカらしくない、特に28才ならまして違う気もがしたな。(つーか28ってたらもっと色っぽい
よね?あ、でも、そうすると昔のミサトさんとイメージ被るから避けたのかもな。)

とはいえこの辺りの「設定のユニークさで走り出したら辻褄合わせは後回し」はエヴァ特有の製作技法で避けられない
副作用なので、もはや「仕方無い」と言うしかないのかもしれませんね。

[2] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/6/3 13:13 (Thu) No.146



で「別レイ」、よく言われる黒波は・・・まぁ、可愛かったですね。ほんと。
そしてやはりあの姿で、あの健気さで、あの声で「碇君」と呼びかけるのを目の当たりにさせておいて
あの消え方されたら、そりゃ25年分感情移入しますよ。(笑)
ましてトシとって涙腺遥かに緩くなってるのに。辛かった。

またそれを見せらるのか、
まだそれを見せられるのか、と。

でも、同時にアタマのどこかで冷めてた気もします。
やっぱり私にとって新劇全体で描かれた「綾波レイ」は、TV版と旧劇で描かれた「レイ」とは違う気がしています。

確かに「序」「破」でのレイは旧劇の二人目にかなり近いと思いますが、それでもオリジナル(?)の二人目にあった
「諦観/虚無感」というか「無価値への価値観」みたいな物は希薄化されている気がします。そして旧劇からの
生き残り組にとっての「綾波レイ」には、何よりまずあの「諦観/虚無感」に由来する「強烈な透明感」が
綾波レイの魅力の最大公約数で有り、その先に各人が「健気さ、一途さ、色気」等々を見ていた気がするんですよね。

一方で、新劇のレイは・・言葉強すぎるかもしれないけど「ただのクローン、人造女の子」にされちゃった気がしてます。

旧劇なら、ユイのクローンであって、シンジの代理母で、父親の愛人ぽくて、リリスの魂で、補完計画の鍵で、
と、まぁ、ちょっと考えただけで出てくる出てくるレイの役割、なんですが「シン」の綾波レイって、最初こそ
代理母的な描写・役割もあったみたいですが、結局どんどん希薄化され、ゲンドウとレイの「淫靡な感じ」も
どんどん払拭されて行ったし、例えるなら、段々、貞本さんのレイに近づいて行ってた気がします。

貞本さんのレイは最初から比較的素直に「女の子」ですよね。その「性格」としてシンジに対しキツめのことも言うし
同時に自分自身の存在に対する葛藤も抱えているけど・・・「実は意外に普通に居そうな気が強めの14歳の女の子」と言っても
あながちおかしく無いと思いますが、それでも「リリス」という設定は引き継いでいたのでラストで「聖化、天使化(?)」
することには一定の必然性もあり、またそれ故の悲劇性によって「綾波レイの物語」を閉じることに成功していたような
気がします。

[3] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/6/3 13:15 (Thu) No.147


一方「新劇」のレイ。「序」「破」でのレイは確かに旧劇の二人めに近い描かれ方をしてますが、TV本編や、貞本版の
レイよりも、もっとずっとピュアですよね。そしてその究極系が「黒波」。旧劇のレイにあったような絶望感、諦観的な
ものは薄く、ただ単に「自分に与えらた運命を受け入れている」と言う感じ。
「リリス」という設定も、どうやら最終的には払拭されたようなので、その死生観(?)みたいな物も旧劇のレイの
「積極的な消滅願望」ではなく「命令、運命への素直さ」という感じで描かれていた気がします。

※そう考えると個人的にずっと気になってた「序」で描き変えられた「微笑み」への違和感がなんとなく理解出来たような
気がします。あの「序」の笑顔って私には素直な女の子の笑顔に見えます。それに対して「デスリバ」での笑顔には、
私はどことなく「哀しさ」や「虚しさ」みたいな物も感じます……て、いうか「それを感じようとさせる微笑み」って感じかな?

さらに「序」「破」でのポカ波と「Q」「シン」の黒波との連続性を曖昧にしか描かなかったため、正直「綾波は綾波だよ」
という黒波への言葉も、言葉だけが上滑りして、私にはどうも今ひとつシンパシーを感じられずに終わってしまいました。

あぁ、でも勿論、新劇のレイが嫌いなわけでは全くないです。
それに「旧劇のレイはピンとこないけど「破」のレイは好き」って方々も多くいらっしゃるようですし、その気持ちも
理解出来ます。また、第三村の朽ちたケージに射す柔らかな光の中に嫋やかに立つ黒波の姿には、旧劇のレイとは
またちょっと違った美しさがあったような気がしますし。

因みに先にも少し書きましたが「シン」の中でシンジが黒波に言う「綾波は綾波だよ」という言葉は、結構\、どういう
解釈すべきなんですかね?
旧劇での3人めに対してこの言葉を使うときは「体は違うけど、同じメンタリティを引き継いだ同じ綾波レイ」という
解釈が一般的だったと思うのですが、シンではどうなんでしょうね?
一卵性双生児的な存在なのですかね?

鶴巻さん、TVの時に3人目をちゃんと描けないなら二人目を殺すことに反対したそうですが、今度は3人目をちゃんと
描いたら二人目が宙に浮いちゃった感じしますよね。



名前: URL: Mail:

内容: (携帯絵文字の入力)


文字色: パスワード(3〜8文字):


シン・エヴァンゲリオン

[1] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/6/1 14:40 (Tue) No.138

公開から2か月が経過して先日漸く見てきました。

とはいえストーリーは事前にほぼ把握した上で観劇したため、改めての特別な驚きは無かった
のですが、それでもやはりケンケンインパクトには驚かされました。組み合わせ自体はかつて
SS/FFの中でも散見されていたため、ある程度の慣れというか「上手く行きそう」な印象も
有ったので、さほどの唐突感は無かったですが、しかし、まさか公式が選択するだろうとは
予\想出来なかったです。

ただなぁ、劇中でのアスカの描写がなぁ。
なんでアスカはああいう扱い受けるんだろう。

あれもある種のキャラに対する愛情なのかもな、とも思いますが。
ホラ、好きな娘には意地悪してしまう、的な?

それはそうとして。

全体の感想としては・・・「まぁ、こんなもんなんだろうな」って感じかな?
否定的、とまでは言いませんが、でも私には世間的に言われている程「良かった、傑作だ」
って感想は残らなかったです。
むしろ「何がそんなに良かったの?」という感じかな。

確かにゲンドウとシンジが初めて向き合い、ゲンドウは「補完(?)」され、シンジもかつて
の何事も他人や状況ににヘッジしがちな、ある意味「当たり前の」男の子から、ちょっと大人
へと成長出来たみたいですし、ミサトさんも花道作ってもらったし、他のキャラも〜〜〜〜〜
以下省略しますが、それなりに各方面「オチ」は付けた感じですよね。

[2] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/6/1 14:43 (Tue) No.139


でも、やはり碇親子で、勝手に世界の運命左右して、勝手に納得して、勝手に
「ネオンジェネシス」って、それってなんだかなぁ、って印象は拭えないですね。
また、全体にTV版の25/26話の焼き直し感が強く、作品としてはEOE(大嫌いだけど)の方が
凄みを感じる、というか評価したい気はします。

でも映像に関しての拘りは「流石だな」って思いました。
昔のような「圧倒的なカッコよさ」や「爽快感」は薄かった気がしますし、冒頭パリでの戦闘
シーンやヴンダーと他の戦艦との戦闘シーンなども私には若干「???」な感じもありました
が、少なくとも「拘り具合」は相変わらずだなって気がしました。

また例えばアスカがシンジにレーション無理やり食べさせるシーン(あそこは個人的に名場面
だと思います)とか「これをアニメでやるかぁ!!」って表\現ですよね。
なんだろ、あれ、実写でも凄い痛いシーンになるだろうけど、それをアニメでやることに
よって実写とはまた違う「リアル過ぎないヒリヒリ感」みたいなの出してるような気がしま
す。
(でもあそこのシーンは何より宮村さんが凄いですが。)

あと、ラスト前、マリが水中から起き上がるシーンだったと思うけれど、俯いた姿勢から
長い髪を空に向けて巡らせるシーン。実写やカメラ画ではよく見るシーンですが、アニメと
しても綺麗だったなぁ。
て、いうか、全体にマリってアスカやレイより作画が綺麗だった気がするのは・・気のせい?好み?僻み?(笑)

[3] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/6/1 15:04 (Tue) No.142

で、あのラスト実写シーン。

あの部分に関しては色々考察したり解釈が可能\なのでしょうけど、私的には
映画本編ストーリーとは切り離した世界、音楽用語言うところの「Coda」、マリが迎えにきた
所までが今回の映画のラストシーンで、映画タイトルの「3.0」がここで完結、でリピート
マーク、TV本編だったり、旧劇だったり、に戻って「to」で「Coda」みたいな感じですかね。
ただし公式側にも「これが正しい解釈だぁあ!!」みたいなものは存在しなさそうな気もしますが。

カヲル/レイの組み合わせ画は、私には「カップル」というより兄弟/姉妹的に見えたの
「フーン」って感じかな?マリ/シンジも「あぁ、仲良いのね」って感じで特ににカップルと
決めつける感じでも無いし、ともかくあの場面は、昔で言う「チルドレン」達が全員別の生き
方を始めるための始発駅って意味?、って印象でした。
で、これ、庵野さんや関係スタッフにとっても「エヴァ(≒庵野さんにとっては故郷という
意味での宇部)から別の世界への旅立ち」ってことなのかな?って思ったり。

でも、だったら・・・確かに緒方さんに遣らせてあげたかった・・・
あぁ、逆に今後、庵野さん以外がエヴァ作る時の
ための余地を残すためにワザと緒方さんをあの世界に残したのかな?
う〜〜ん・・・それはそれで酷いな、ある意味。

ともかく、結論、個人的な総評として「凡作」とまでは言わないけど「傑作」っていう感は
しなかったですね。
ただし「傑作」と思えない私の感性が鈍い&古い&ダサい可能\性も十\分ありますが。(草)

でも、少なくとも制作側の「さぁ、ここから前へ進もう!」的な意欲は感じられる作品だと
思います。

※今回、貞本さん、磨砂雪氏、に代表\される旧劇の中心人物が外れ若いメンバーを多数
配置したのも、悪戯に「庵野氏との関係悪化」などと邪推するのではなく、
まずはカラーとしての「次のステップへの先行投資」的に理解するべきなんだろうな、と思ってはいますが

でもやっぱり貞本さんと脚本の榎戸さん?でしたっけ、にはいて貰えれば少し違うものになっていたかもな?と思います。

そんときは長髪レイも、死んでたかもしれないけど。(草)




[4] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/6/1 15:08 (Tue) No.143


で、シンでのレイ、というか新劇全体でのレイ、かな?

に関しては別スレッドで。



名前: URL: Mail:

内容: (携帯絵文字の入力)


文字色: パスワード(3〜8文字):


雑感

[1] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/11/23 21:37 (Sun) No.3

なにせ7年振り。もう触る積もりはなく、ローカルマシン上からClassic環境が無くなって以来、それこそHTMLエディターも、FTPツールさえも無く成って久しかったのですが、ふと「あぁ、そういえば……」と思って立ち寄った書店で14巻を入手し読んだら、忘れていた何か?が動き出し、気がついたらUPLOADまで辿り着いてしまいました。

正直、こんなに心が動くとは予\想してませんでした。
この間、勿論、新映画版は観てます。
流石に「序」でレイが初めて出てきた時こそ涙腺が緩みましたが、その後、どことなく微妙な違和感を感じ、今一つ入り切れない自分がいました。
(あ、でも「Q」でのあの展開は私の中の”エヴァファン”な部分として、もの凄く嬉しかったけど。)

色々な方々に対する申\し訳無さと共に、日々の忙しさと、冷えしまった自分の中の思いを見つめるにつけ「あの娘のことを、あんなにも考えることはもうないのだろう」と思っていました。

それなのに……動かない絵の力って凄いですね。
今回のファイルの中にも書きましたが、P80とP109〜P111のレイを見たら、もう色んなものが込み上げてきてしまって、どうしても何か書き留めたくなってしまい、今に至ります。

とはいえ、なにせここまで放置したHP。
今更、ここから外に出て何かするつもりも無いので、きっと、ずっと誰の目にも触れずに行くのだろうと思います。

でも、それでいいです。
なんとなく、自分として、一つの区切り、本当はもっと前にキチンと行うべきであった「何か」を行うための第一歩であり最後の一歩として、ちょっとの間だけ、思いついた事を書いておこうと思います。





[2] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/11/27 01:48 (Thu) No.4

本編、ではなく本物……そう、本物の「綾波レイ」てどのレイなんでしょうね?

とっくに現役を引退した「エセ綾波論者」として語るのなら「それは各々の方の中に存在するんだとおもいますよ」と言うのですが、そうでは無く、なんていうか、一般的な意味で、っていうか、共通認識とで言う「綾波レイ」。

それはやっぱりTV本編の「綾波レイ」なんですよね、多分。(あぁ、でもやっぱり「私にとって」なのかも、だけど)

で、ちょっと途中を省くと、やっぱり貞本さんのレイも、その意味では本物では無いんですよね、多分。

TV本編のレイってやっぱり庵野一派(なんじゃそりゃ)のレイなんですよね、多分。
それは多分、やっぱり「ヲタクに捧げられた花嫁」なのかもしれないし、アニマなのかもしれないし、徹底的に物語に利用され尽くしたキャラなのかもしれないけど、結果的には最も一般的に支持されたのはこのレイなんですよね。

だとすると、やっぱり一度、そこへ、TV本編へ戻るベキなんだろうな、って思うのですが、果たして昔の用に感じることって出来るのかな?
(最近は全くだけど)数多のSSを読み、たくさんの考察に触れ、そして多くの時間が経過した今、TV本編も改めて見た時、昔と同じようにレイを感じることが出来るのかな?

いまでも台詞は覚えているし、シーンも少しが考えれば頭の中で順番に並べられるけど、でも、あの頃と同じ感覚を取り戻せるのかな?

取り戻す必要なんて無いことは解ってるけど、ちょっと怖い気もします。

………と、自分としてはTV本編があくまで「本物の綾波レイ」と基準を置いた上で、今後少しだけ、貞本さんのレイについて書き残したいな、って思います。
(さて、本当に書けるのかな?:笑)

[3] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/11/30 15:52 (Sun) No.5


う〜ん……やっぱ長い間書いてないと、何をどう書けば良いのか解らなくなりますね。
つらつら色々書き出してはみているのですが、どうもうまく纏まらない、って言うか、書いている内に、何か書いてたんだか解んなくなっちゃう。

なので、一回あきらめて、

今月号の「Cut」という雑誌に貞本さんのインタビューが掲載されており、一部結構\「へぇ〜」って内容もあったのですが、その中で一番驚いた、っていうか意外だったのは、貞本さん、結構\はっきり明確に漫画版のレイとシンジの関係を「男女間の恋愛」て言ってるんですよね。で、その前段では、テレビ本編でのシンジのカップリング対象はアスカだったとも述べてます。

まぁ、古い言葉(なのか?)で言えば、TV本編はLASだったけど、漫画版はLRSだと明言してるんですよね。

最近はよく知らないけど、貞本さん、このあたりに関してはあまりはっきり言わない人だった気がすので、結構\驚きました。
またアスカにかんしても「そんない良いかなぁ…って思ってみてました」みたいな発言もあって結構\こちらも驚きました。

まぁ、これを単純に「貞本さんはレイ派で庵野監督はアスカ派」みたいに分類すると、また話がややこしくなるんでしょうけど、結局この差って両者が持つ「シンジのイメージの違い」なんでしょうね。

恐らく、貞本さんはヤシマ作戦の流れからだと、シンジとレイは普通にお互いの存在を意識するよういなる、って考えたんでしょうけど、庵野さん(一派)は「それは無いな」って考えたみたいですね。

……ただ、今、改めて思うんだけどTV本編で、虚数空間から帰還したシンジが病院に入院してた時
レイがやってきて「今日は寝ていて、あとは私たちで処理するわ」って箇所があったと思うけど、
女の子からあれ言われたら普通、結構\嬉しくて以降意識するようになりそうな気がするんだけど、
そうは成らないのが庵野版だったんでしょうね……

……、とも少しリハビリらしきものをしてみますか。

[4] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/12/15 01:43 (Mon) No.7

ちょっとだけ。

TV本編に関して「あーでもないこーでもない」考えてた頃の疑問の一つに
「レイってホントにシンジ選ぶのかなぁ?」ってのがあった記憶がある。

つまり…もの凄く乱暴\に言うと、TV版のシンジって、結局レイに何かを与えた
ことって「笑えば良いと思うよ」くらいのもんで、以降、そもそもロクに話も
していない(=描写が無い?)

なんだけど、TV版のレイって、なんか「シンジ大好き」的な「位置」に置かれて
しまった気がするんだけど、よくよく考えるとちょっと不自然な気もしてた
記憶がある。

…て、考えると貞本版って結構\、キチンと描写されているような気がします。

でも、これって一面「当たり前の話だ」ってことで、表\現として(創作物?)
としての「個性」って意味では、やはりTV版にかなわない、ってことかもな?
とかとも思ったり。


名前: URL: Mail:

内容: (携帯絵文字の入力)


文字色: パスワード(3〜8文字):


新劇場版

[1] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/12/6 22:27 (Sat) No.6

貞本版から外れた話題なので、別スレッドに。

「破」でしたっけ?2作目の新劇場版。
一応、ちゃんと劇場まで見に行って、「綾波だけは絶対助ける!」とのシンジの言葉に
「…その言葉をずっと待っていた…」との感慨を覚えたのを覚えています。
ただ、同時に、なんかしっくりこなかったんですよね。
「これ…ほんとにシンジ?」て感じかな?

で、実はそれを最も感じたのが「破」のレイ。
「ポカポカ」って……レイ、言うかなぁ?

と、同時にどこの台詞だったか、今思い出せないんですが、
林原さんのアテレコにもちょっと違和感感じたんですよね。
なんか上滑りしてる、っていうか「レイ」じゃない感じが
したんですよね。

で、そこで逆にちょっと悟ったっていうか諦めた、っていうか、
別に怒りとかじゃなくて「そうだよね」って感じ?
つまり「これは、私の追いかけたエヴァ/綾波レイじゃない」って
なんか素直に納得しちゃんたんですよね。

で、実は同じ感じを「序」でしたっけ?1作目の新劇場版の
とあるシーンを見た時にも思ったんです。

そう、その「微笑み」

なんか、凄い違和感あったんですよね。
で、これ、自分で絶対「正しくない」って思うんですが、
やっぱり私の中でデス・リバでの「微笑」が絶対的な物に
なっていて、あれが私の中の「綾波レイ」の基準的なものに
なってる気がします。

確か1作目のパンフか何かにも記述があったと思うんですが、
あの「微笑」って、今回描いた人、描き直すのはもの凄くプレッシャー
だったらしいですね。

個人的な思いなんですけど、やっぱり制作側にも、あの「微笑」って
ある意味で過去の「綾波レイ」を象徴するものだ、てな感じのものである、
って認識はあったんじゃないかな?と。
で、それを敢えて貞本さんのテイストとはちょっと違う(と、私には
思えた」絵にしたところに、今回の新劇場版って存在は有るんじゃ
ないかな?って思いました。

つまり……やっぱり新劇場版は、あの夏のエヴァとは別のものだ、って。

で……だからなんですよ、多分「Q」で、あんな展開になってた時、
なんか妙にほっとした、て言うか「あぁ、やっぱエヴァなのね」って思って
ちょっと嬉しかったのは。

さて、最後の4作目ではどうなるのやら。

[2] 投稿者:とおりすがり 投稿日時:2014/12/24 23:35 (Wed) No.8

全然関係ない話&ちょっとだけエヴァ

元々はアコギ弾きなのに、バンドではKyb担当、たまにGr弾くときもE.Grだった私の最も好きだったPlayerは青山純というDrammerでした。
70年代から90年代頃までの山下達郎のほぼ全ての作品と全てのツアーに参加し、Bassの伊藤広規氏と二人でのリズム隊は、恐らく今でも、そしてこれからも決して超えられる事の無い日本のPOPS界で唯一無二のリズム隊だったと思います。

そして「だった…」と過去形なのは、青山氏は昨年12月に突然この世を去ってしまったからです。

そんな山下達郎氏ですが、実はここ青山氏が無くなる以前から、ここ数年のツアーには青山氏は参加していませんでした。曰く「青山氏がMISIAのツアーのコアメンバーになっちゃから」とか「達郎の3時間半のステージが体力的に無理だった」とか言われていますが本当のところは解りません。

そんな青山純が使えない山下氏は、とうとう今から5〜7年前のツアーからは青山氏を諦め、若手の、それも一般的には全く無名に近い小笠原拓海というDrammerを抜擢しました。

初めて新人・小笠原拓海が参加した山下達郎バンドの音を聞いた時は、それはもう違和感の固まりでした。細かいことは省きますが、もう自分の中で鳴っている「タツローサウンド」と全然違う。当時はまだ青山氏は存命中でしたし前記したMISIAのツアー等には参加していたので、正直「やっぱ青じゅんでなきゃ駄目じゃないかなぁ……」って思ったりしてました。

ただね……そうは思っていても、一部の曲で「あぁ、こういう風にもできるんだ…」って思ってたりしたのも事実。「なんか曲が若返ったな。」って感じる曲もあったりしました。

でも、正直、あんまり受け入れたくは無かったかな?
やっぱり、タツローのバックのリズムは青山でなきゃ、って思ってたな。
そしてそれは多数の山下達郎ファンが等しく感じていた感覚のようです。

そして、青山氏が急逝して、二度と決して「青山/伊藤」のコンビでのリズム隊が復活することはなくなりました。
そんな中、山下氏が自身のラジオ番組での青山純の追悼特集を行った時に語った言葉があります。
以下、少し長くなりますが以下に引用します。

ありゃ?
入らないや。
分割すっか。(なんか懐かしいな)

[3] 投稿者:とおりすがりのつづき 投稿日時:2014/12/24 23:49 (Wed) No.9

で、以下山下氏の言葉の引用から

----ここから-------

今まですね、色々なお便り頂いているんですけども。

何度か、演奏メンバーを替えて参りました。

その度にですね、先週もちょっと申\し上げましたが、スタッフにも反対されましたし、以前の方が良かったと保守的なお客さんも大勢いらっしゃいました。

現在ではですね、押しも押されぬトップドラマーであります青山純という人ですら、彼を私が起用した当初はですね、スタッフや聴衆から、なぜそんな無名のミュージシャンを使うのかと反対されたり・・・攻撃されたりもしました。

お客さんの中には、文句を言ってですね、それ以来来なくなるという方もいらっしゃいました。

同じような事が何度か繰り返されて現在に至っております。

今も、そうした情勢が、あまり変わりありません。

(中略)

それは、まあ、芸事というのは、観る側にとっては自分の歴史の投影、自分史ですね、自分史の投影、自分史の対象化、そうした結果であります。

歌舞伎とか伝統芸能\、落語なんかの世界ですとですね、必ず先代は良かった、と。
お前の芸なんて、先代に比べれば・・・という

そういう昔はよかったというですね・・・
まさに自分史の反映としての芸事の評価というのが、昔からございます。

ですが、古い世代というのは新しい世代に対する寛容さというのを常に持っていなければならないと、僕は常に考えております。

若い世代がですね、いつの時代も続々と生まれて来ます。

我々古い世代は、それらの若い新しい才能\を見出して、抜擢し、助けて、陽の当たる場所に引っ張り出してあげなければいけません。

しかるに、多くの業界人、それから耳の肥えた聴衆とか、お客さんですらもですね、自分に馴染みのある、自分たちにとっての、すなわち自分史の反映としてのですね、一流、有名ミュージシャン、そうしたブランドを金科玉条と崇めまして・・・

『昔はよかった』
『俺達の時代はよかった』
『それに引き換え、今の若いものは・・・』

しばしば、そういう事を口にします。

えぇ・・・私のライブに関しましても、ここ10年間青山君がいませんので「そんな青山純がいないライブなんて」という方がですね、少なからずおられるという・・

私、よーく承知しております。
別に、そういう方々にですね、再び来ていただこうとは思いませんがですね。


--------ここでもっかい分割--------------

[4] 投稿者:とおりすがりのつづきのつづき 投稿日時:2014/12/24 23:51 (Wed) No.10

残りあとちょっと

----ここから引用の続き---------

ただひとつはっきりさせて、おかなければならないことは、今まで私を手伝ってもらったドラマー、上原裕、村上秀一、そして青山純、そして現在のパートナーであります小笠原拓海という、皆優れて卓越したドラマーであります。

他にもスタジオやライブで縁のあった林立夫さん、高橋幸宏さん、知己ではないけれども最近ですと吉田佳史さんとか、玉田豊夢さんとか、素晴らしいドラマーが今も昔も沢山存在します!

彼ら一人一の誰もが、それぞれにプレイヤーとしての個性や特殊性というのを有しておりまして。

それらはもとよりですね、優劣の比較対象にはならないものであります。

したがってファンのひいき、あるいはひいきの引き倒し・・・
何度も申\し上げております自分史の反映・・・
そうした次元でのですね、誰が誰より優れてるとか、劣っているとかいう、そうした無意味な評論家ごっごはもう、もとより私はなんの興味も持っておりません。

友達の死というのは、たいへんに悲しいし、残念な現実ですけれども。
それでも我々は生きていかなければならないし、音楽を続けていかなければなりません。

青山純の数多の名演というのはしっかり記録に残されております。
残されたものは、去っていった人々のですね、思いを受け継ぎながら音楽を続けていかなければならないと思っています。

-------------------------------------------------

…さて、凄く長くなりましたが、上記引用の中で山下氏が語っている「自分史の反映」あたりの話。
これ、じつは私が新劇場版を観る時に気をつけたいな、と思っていることだったりします。

つまりは「出来るだけニュートラルに受け入れよう、自分の持っているエヴァであったり綾波レイとは違っていたとしても、それはそれとして受け入れ、感じて、考えよう」ということかな?

そして、確かに「なんでまたエヴァを作ってるの?」という思いはあるにせよ、それでもやっぱり「真剣に作品を作っている庵野監督はじめ関係者諸氏の投げてくるボール」は、出来るだけニュートラルに受け止めたいな、って思ったりしてます。

……と、強引にエヴァ話に繋げたところで。

青山純にしか出せない8beatで奏でられる
「Christmas Eve」を聞きながら。


名前: URL: Mail:

内容: (携帯絵文字の入力)


文字色: パスワード(3〜8文字):


ポスター

[1] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/2/8 17:18 (Mon) No.117

ttps://www.evangelion.co.jp/img_rn/top/main_08_pc.jpg


コロナのため公開延期になっている新劇場版完結編の告知ポスター。
綺麗な浜辺でのロケで、カメラマンから

「はい!みんな笑って!!」

とでも言われた、って感じかな?
チルドレンみんなが「笑顔」なのがとても嬉しい。

でも、一つだけ引っかかる。

なぜレイが真ん中なの?

なんで今更?

もしこれが20年前のEOEの頃だったら絶対真ん中は無いでしょ?
良くて今回のポスターのアスカの位置、
悪けりゃ(?)水平線の上に浮いてる、とかになってたと思う。

なんて言うのかなぁ。
自分でも捻くれてる、って解ってるんだけど、
「Q」は一旦置くとして、今回の新劇場版の「序」と「破」では
レイを妙に「ヒロイン扱い」しているでしょ?
LRS的っていうのかな?

これ自体、なんか「ムカつく」んですよね。
なんで今更!?(笑)

分割

[2] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/2/8 17:19 (Mon) No.118


(レイだけではないけど、特にレイは)TV本編/旧劇場版の時、
全体ストーリー展開やら伏線の回収やら
色々な要素の解決のためのみの存在的に扱われ、
レイ自身の物語は完全に「ぶん投げられた」挙句、、
ひと頃は「レイはヒロインじゃない」とばかりに
ポスターの中で端っこの方に小さく描かれただけ、
みたいな扱いも受けていたでしょ?

あれ、物凄くトラウマ(?:笑)になってるんですよね。

都合の良い時だけ大事にしたり、ストーリの都合等で今度は一転粗末に扱ったり。

それこそ「人形じゃ無い」のに。

だから今回のポスターも、

なんで今更レイが真ん中なの?
シンジなんじゃないの?真ん中は。

それとも「エヴァは結局、綾波レイ」ってことなの?
いやぁ、最近のことは良くは知らないけど、今時そんな事、無いでしょ?

そういえば「自爆」が無くて身体の入れ替えが無いからなのか、いきなり「黒いプラグスーツ姿」の
別な「綾波タイプの初期ロット」にされてしまった新劇場版でのレイ。

この設定、展開自体には今の所、特に異論は無いけど、
でも、結局またしても話の都合で良いよう利用される
「便利なキャラ」にされちゃうくらいだったら
最初から新劇なんて作らないで欲しかったな。

と、なんとなく妙に「たよりされてる」風なレイの姿を見て不安になり吐き出してみました。

[3] 投稿者:管理人 投稿日時:2021/2/8 17:20 (Mon) No.119

「なら見なきゃいいじゃん!?」は確かにその通り。
でもね、私、別に新劇場版否定しないし、むしろ「ここまでちゃんと作ってるな」って思ってる。
「物語」としてかなり頑張って再構\成していると思う。
流石だな、って思う。

でもだからこそ、なんですよね。
旧劇だって決して「いい加減に」作った作品では無い、と思っているけど、
結果としてレイの物語りは「ある種放り投げられた」と私は思っている。

あれと同じは嫌だな、って。
どうせなら、どうせもう一度作るなら、
今度こそ、自分達で「綾波レイの物語」も描き切ってほしいな。


名前: URL: Mail:

内容: (携帯絵文字の入力)


文字色: パスワード(3〜8文字):


<< [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

 Home 管理画面  携帯にアドレス送信 


削除する人→ 投稿者: 管理者:  削除記事No: パスワード:
無料レンタル FreeBBS.biz