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『三国志』についての考察、感想
日時: 2021/06/07 19:44
名前: JIN
参照: https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/anime/8380/1284640600/l50

これもまたなかなかに人気のある分野。

個人的には孫呉陣営が結構好きです。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.23 )
日時: 2021/06/22 21:08
名前: JIN
参照: https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/anime/8380/1378987848/l50

後漢末の地方割拠の元となる州牧制を建議したのも彼だと言われますね。

あと彼が流民を元に作った東州兵はかなり強力で、まさに親衛軍団だったわけですが、彼の死後は近衛軍団化して劉璋を苦しめ、劉備にとって最大の抵抗勢力ともなると。


法正については、劉備が諸葛亮の対抗馬にしていたところなど、彼らの関係が決して一体的な物でなかったという点でも重要ですよね。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.24 )
日時: 2021/06/24 04:33
名前: Ryu

あくまで「代表者」であって「支配者」ではないというのが、後漢末期の刺史(州牧)の印象ですかね。

お隣荊州の劉表も、実際蔡瑁を筆頭とした地元豪族との連立政権でしたし。

(ただ東州兵の統制に失敗し、父が利用していた張魯の独立を許してしまった劉璋に比べると、少なくとも存命中の内治は大過無かったでしょうが)



法正について、陳寿からも「相当なキレ者だけど性格は…(意訳)」と評されている通り相当なクセ者でしたが、劉備からは深く信任されて遂には彼から諡号を送られてますしね。

(義弟である関羽や張飛ですら送られておらず、法正が唯一の存在)

そして劉備入蜀後の軍略担当を担っていたと。尚諸葛亮はどちらかというと政略担当。

その諸葛亮とは気質が合わなかったとありますが、互いに認めており夷陵の戦いでも諸葛亮が「もし法正が生きていたら…」と悔やんでましたし。

享年44歳と若死にとまでは言わないにせよ、本人にとっても蜀にとってもこれからという時期でしたし。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.25 )
日時: 2021/06/23 20:14
名前: JIN

漢中攻略戦は彼が軍師だったとも言われますね。

諸葛亮とは「一を知って二を知らない」の問答が有名ですが、法正だけは例外にせざるを得なかったわけで。

彼が生きていれば孟達の動きも違っていたでしょうし、その後の流れも相当変わっていたかも。

その前にホウトウが死んでいたのも痛手でしたね。


あと蜀の主といえば、更に前の公孫述も有名で、宮城谷作品の『呉漢』で触れてますね。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.26 )
日時: 2021/06/24 07:05
名前: Ryu

演義でのイメージが先行しがちですが、実際の劉備存命中の諸葛亮は政略担当メインで軍略担当はホウ統、そして彼の後任が法正って感じかなと。

勿論軍略も十分いける事は、後の北伐で証明されているでしょうが、ホウ統や法正は自分以上だと思ったからこその蜀の軍師事情か。



こういうたらればは三國志関係でも色々述べられ、蜀陣営に関しても多々ありますが、今現在話している流れで言うとホウ統や法正らが健在であれば。

彼らがこぞっていなくなったりした事で諸葛亮に諸々の負担が集中し、本人のワーカーホリック気質も合わさった結果、彼の死因は平たく言えば過労死と言えるでしょうし。



なんにせよ、蜀陣営にとって関羽と荊州を喪った事もそうだが、夷陵での大敗が致命的と言えたのは、荊州への道が完全に閉ざされた事や馬良や黄権を初め多くの人材を喪った事がより大きかったという事か。

三國鼎立にあたって人の移動が少なくなり、結果益州しか支配してない蜀は「人」において魏との差が益々開くと。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.27 )
日時: 2021/06/24 22:54
名前: JIN

諸葛亮の場合は、むしろカエサルと同じくあくまで「政略の一部」という感じの軍略という印象。

難しいのはそれらの人材たちが生きていた場合、諸葛亮が彼らを指揮する事が出来たかなんですよね。

劉備が生きていたなら、彼らを並立で使いこなせたでしょうが、諸葛亮が立場や能力で自分と同等(あるいは以上)な彼らを指揮する事が出来たかは疑問。

むしろ彼らがいなくなったからこそ諸葛亮が全権を握る事が出来たとも言えるだけに。


あの後出師の表でも、四方から集めた将兵達の損失について諸葛亮が悲鳴を上げてましたね。

そもそも荊州と関羽の喪失の最大の要因は、予想以上の益州の抵抗によって荊州の主力軍の多くを移動せざるを得なくなったため。

演義では時間経過が分かり難いですが、劉備が主力軍を投入しても平定に二年を費やしており、後の蜀漢のあっけない崩壊とは比較にならず、蜀漢の名誉の意味でも敢えてぼかされた印象。

更に不可解なのは、その手薄な状況の中で関羽が独自の北伐を行った事で、これが劉備からの指示による物か分からない点。

また孫権が関羽の娘と自分の息子の縁組を申し出るなど、当時の関羽の立場はかなり独立性の強い印象も。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.28 )
日時: 2021/06/27 08:23
名前: Ryu

無条件の内に諸葛亮が(劉備亡き後の臣下達の中での)トップになる前提で話していたというか。

そりゃ色々と生きていれば、それに伴う派閥(諸葛亮始め荊州組と、法正始め益州組)やら何やらで何も起こらない保証も無いでしょうしね。



荊州都督時代の関羽は、真っ向勝負だけでなく曹操領の群盗を扇動させたり、統治においても手堅く優れた手腕を見せたりと軍事以外の能力も発揮していた一方で、同時に本人の性格上の問題点も露呈していた印象が。

簡単に言えば目下には優しく、同格(ないし自軍以外)には尊大、そして軽視しがちな所が最終的に自身の破滅に繋がったというか。

(因みに張飛はその逆だったが、それもそれで最期は寝首を掻かれる事態に)

孫権側からの縁談持ちかけに対し「虎の娘を〜」というのは有名ですが結局あれは演義での創作、しかし正史で明らかに孫権を軽視している様な行動をしていたのは確か。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.29 )
日時: 2021/06/27 23:22
名前: JIN

一般的なイメージからすれば、諸葛亮は「三顧の礼」から一貫して劉備から全権委任を受けていたような感じですが、実際はそうではなく、劉備から相当な牽制や抑制を受けていたというのが、最近の研究でも明らかですからね。

「三顧の礼」にしても、諸葛亮個人に限らず、むしろ人材誘致のための「隗より始めよ」みたいな物だったと。

(そもそも劉備は最初は「三顧の礼」などやりたかったわけでもなく、むしろ一方的に呼び付けようとしていた)

そうした諸葛亮の支持基盤の意外な狭さや小ささが、後に馬謖の登用と失敗や、李厳の追放に魏延の反抗といった事態を招くわけで。


関羽が孫健を罵倒した下りが、むしろ関羽を義絶と尊ぶ演義で出てきたというのが面白いんですよね。

現在の目から見れば、むしろ相手に攻撃の口実を与えるような、関羽の傲慢こそ問題という感じですが、とにかく(関羽を殺した)孫権に悪感情を持つ演義の作者たちの気持ちがそのままフィードバックした感じですね。

その前にも諸葛亮に罵らせてますが、とにかく「孫権のくせに生意気な」「孫権など黙って劉備に従ってれば良かったんだって」。

(この辺りはまさに「孫権」を「扇」に置き換えても成り立ちそうなのがポイントですが)
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.30 )
日時: 2021/06/30 19:57
名前: Ryu

>「三顧の礼」にしても、諸葛亮個人に限らず、むしろ人材誘致のための「隗より始めよ」みたいな物だったと。

安能版三國志では正にそんな感じでしたね。

当時の劉備は、名声こそ無くは無いものの所詮余所者な事もあって地元荊州の人脈なんて無い状態でしたし。

何時の時代でも、人脈が多い奴程受けるメリットは大きいと言うか。



まあ本当に演義は蜀陣営贔屓の極みという印象が強いですね。

そして自分も中学の時に読んだ吉川版三國志の影響で、以前にも述べましたが当時は孫権の事をコウモリ野郎と見なし、良い感情を持って無かったのは確か。



ただこれでも演義成立前の蜀陣営以外は、まだ演義がマシに思えるぐらいに扱いが適当だったらしいですが。
メンテ
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.31 )
日時: 2021/07/01 22:34
名前: JIN
参照: https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/anime/8380/1378987848/l50

安能氏の中国物についてはとにかく深い影響を受けました。

なかでも一番の強烈だったのは、少なくとも第二次以降の諸葛亮の北伐はもはや天下統一のためでなく、外来政権を益州で維持するための政治パフォーマンスでしかなかったという解釈。

その辺りは戦後の台湾の「大陸反攻」にも通じるところがあるだけに、比較としても面白いです。


あと「鼎立」と「三分」では意味が違うとか。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.32 )
日時: 2021/07/01 23:00
名前: JIN

あと唯一の勝機があった第一次の北伐を失敗させた、街亭の戦いですが、三好徹氏の「三国志外伝」での馬謖の心理分析がかなり面白いんですよね。

「山上に陣取って失敗した!王平に諫められたが、あんな無学な奴の言うことなんか聞く気になれなかったんだ(だから聞かないのも逆をやるのも当然だ)!」

「なんであいつが副将なんだ!?あいつじゃなかったらあんな陣を敷かなかったのに(だからあんな奴を付けた丞相こそが悪い)!」


とにかく自分として蜀漢系の武将で一番好きなのは王平です。
メンテ

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