Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.33 ) |
- 日時: 2021/07/02 08:14
- 名前: Ryu
- 蜀については、安能版とかでも解釈されている様に、一見無謀と見える北伐を続けるしかなかった感がありますね。
「出師表」以外にも諸葛亮が劉禅即位後から間もなく、魏の高官連中から送られた降伏勧告に対し黙殺するだけでなく、魏を痛烈に批判した内容の「正議」を発表したりした事もあって、蜀の国家方針が明確になってましたし。
何があっても、漢朝を簒奪した魏との和平なんて有り得ない、認めれば「蜀漢」の全否定になると。
馬謖と王平の対立は、現代風に例えると名門大学卒の高学歴エリート(しかも上層部からの期待も高い)と、中卒後現在に至るまで数十年の経験を持つ現場監督の対立な具合か。
王平の文盲エピソードは三國志好きなら大体知っているでしょうが、(三國志と関係無い気はしますが)結構歴史上の偉人にも似たようなエピソードがあるんですよね。
有名処だと神聖ローマ帝国のカール大帝、同じ中国枠だと後趙の石勒とか。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.34 ) |
- 日時: 2021/07/02 22:44
- 名前: JIN
- 王平の文盲エピソードは、やはり「仁義礼智信忠孝」しか知らないという部分ですね。
それを知ってるなら十分。むしろその肝心の抜けてる奴のなんと多い事かって。
蜀漢を魏に対する完全な牽制役に留めたのは、まさに夷陵での孫呉の勝利なんですよね。
あれで洛陽へのルートを完全に塞がれた事によって、困難な長安へのルートのみになってしまうわけで。
よく呂蒙の関羽への攻撃は、それ以前の魯粛の戦略からの逸脱と言われる事が多いですが、あくまで最終的には統一策である諸葛亮の「三分の計」を封じ込め、その名の割拠状況を確立させたという意味では、むしろ魯粛の「三分の計」を完成させたというべきではないかって。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.35 ) |
- 日時: 2021/07/04 21:28
- 名前: JIN
- あとエリートと叩き上げの対立となれば、蜀漢を滅ぼした鍾会と昜の対立も典型ですよね。
馬謖と王平の対立は、まだ戦場での場数の少なかった諸葛亮としての失策ですが、こちらの方は最初から司馬昭の計算の内だった感じ。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.36 ) |
- 日時: 2021/07/05 18:47
- 名前: Ryu
- 演義での(ある意味あんまりな)扱いからか魯粛は親劉備派と思われがちですが、正確には利用できるうちは利用してやろうという感じが。
少なくとも彼の存命中は劉備と(荊州問題で怪しくなっていた感はあるものの)共同歩調を取っていたが、状況次第では魯粛主導で関羽を攻撃していたんだろうなと。
鍾会と昜の2人は、お互い実力は確かにあったが性格面でもお互いに問題を抱えていたというのが何とも。
(正にエリートと叩き上げの負の部分が出ているというか)
昜というと演義では鍾会同様の生粋のエリートたる陳泰と友諠を結んだというエピソードがありますが、あれは創作との事。
(実際はあくまで総大将と指揮下に置かれた一部将としての関係のみ)
そして陳泰のエピソードで有名なのは、曹髦の死についての司馬昭との問答でしょうか。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.37 ) |
- 日時: 2021/07/05 23:07
- 名前: JIN
- 江東独立論者である魯粛が劉備に期待したのは、あくまで曹操に対する牽制役ですからね。
別に彼らなりの漢朝再興に賛同したわけでも同調したわけでもない。
そしてそんな彼らを御都合主義的に期待して用心を怠ったのは、あくまで劉備側の落ち度。
諸葛亮の「天下三分の計」でも二正面からの北伐の間にどう孫権を抑えるか明確にしていないしで、まるで向こうから進んで邪魔しないと決め付けている感じ。
その不用心を誤魔化すように、道義的な理屈をデッチ上げて騒いでるって感じで、あれこそ卑怯者というのが自分の結論。
それこそどこぞの連中みたいにって。
曹髦の弑殺を正当化した事が、後に晋王朝内部の凄惨な殺し合いにつながった事を考えるとまさに因果応報という感じですよね。
(それも司馬昭が庇った賈充の娘によって引き起こされたという皮肉さ)
自分としては曹髦というより、スケープゴードとして一族ごと殺された、成済の怨念を感じてしまう方ですが。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.38 ) |
- 日時: 2021/07/06 19:06
- 名前: Ryu
- 白昼堂々現役皇帝の弑逆は董卓ですらやってない所業で、この事が後世における司馬昭の評判を決定付けてしまったというか。
王導から司馬昭達の所業を知った明帝が、「どうして晋の皇祚を長く保つことができようか」と言った辺り、どう思われていたのかはお察し。
あるいは前例が出来た以上、もう誰も「そういう手段」を取る事を躊躇わなくなる事を危惧しての発言かもしれませんが。
実際東晋以降の王朝は禅譲したら間もなく一族全員皆殺しが基本路線になってしまいましたし。
(それまでは禅譲した側を厚遇するのが基本路線)
曹髦の次の曹奐は廃位後も王としての地位を保証され亡くなったのは302年、正に八王の乱の真っ只中。
かつて自分達を傀儡にし帝位を奪った一族が殺し合い、そして破滅へと突き進んでいく様をどのような思いで見ていたのだろうか…。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.39 ) |
- 日時: 2021/07/06 23:34
- 名前: JIN
- 自分たちの一族だって漢から奪ってるだけに尚更複雑でしょうね。
西晋の最後の二帝なんて、散々嬲り者にされた上に殺されたわけですし。
そして東晋から奪った宋の最後の順帝の言葉が「生まれ変わっても帝王の家にだけは生まれたくない」になると。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.40 ) |
- 日時: 2021/07/08 18:55
- 名前: Ryu
- 唐の時代になるまで、「皇帝」の価値は暴落していた感がありますね。
即位しても大体傀儡だったり、そうでなくても一族や臣下の力が強くで思い通りにいかなかったり、そもそも中華を統一している訳でもなかったり、そして皇帝の地位を追われればセットで死が待っていたり…。
総じて即位中も良い事なんてほぼ無いし、そして天寿を全う出来た奴の方が珍しいぐらい。そして皇族に生まれてもとばっちりで殺されたり。
皇族をどう扱うかについて、魏と晋は対照的ですよね。
前者は世子以外は冷遇して(ただ曹真並び曹爽の様に臣籍に降ったのなら別)、「王」の位こそ与えど実質軟禁状態の冷や飯喰らいに。
(実は曹叡も最初から世子だった訳でなく、曹丕が重体になってからようやく皇太子に立てられるまで不遇だった)
一方の晋は後の「八王」に代表される様に、皇族にも高位高官を与えて皇族の力を強化。
双方共に理由あっての措置でしたが、互いにその措置の欠点が露呈して国を喪う一因になってしまったのは何とも。
ただ帝位は追われたがそれなりに遇された曹氏と、軒並み殺戮された司馬氏とでは末路に差がありすぎる気はしますが…。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.41 ) |
- 日時: 2021/07/08 20:38
- 名前: JIN
- たとえ殺し合ってもどちらも司馬氏だから構わないと開き直っていたのなら話は別ですけどね。
少なくとも東晋の滅亡まで百五十年持ったわけですし。
それでも「天下を与にした」王氏は、なんと最後の陳まで歴代南朝の禅譲劇全てに立ち会うキングメーカーとして存続したわけですが。
その意味からすれば、まさに唐は漢にも匹敵する中華帝国のスタンダードでしたよね。
武則天や安禄山にやられても復元したわけですし。
それだけに最後の止めを刺した朱全忠も注目なわけですが。
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Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.42 ) |
- 日時: 2021/07/10 21:11
- 名前: JIN
- あと一番の争点の劉備の描写ですが、後世の魯迅なんかは「演義での劉備は聖人君子の度が過ぎて逆に偽善者臭くなっている」とまで言ってますね。
馬超なんか、彼の叛乱のせいで一族が連座させられたのに、劉備に仕えたのを考慮して演義では引っ繰り返されてるしで。
逆に劉備をいざとなれば家族も捨てる非情の面も持つ男と描いた、蒼天航路では、あの才能を愛する曹操ですら「天下には全く役に立たない狂った刃」とまで言わせた馬超を心服させるというところで、むしろ人間的なスケール感を出していたのが凄かったですが。
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