Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.43 ) |
- 日時: 2021/07/10 21:41
- 名前: Ryu
- 大衆受けする為に聖人君子にされた感がありますからね、演義の劉備は。
若かりし頃の正史劉備のエピソードで有名な、県尉時代に監察官をブチのめしたエピソードも、賄賂を要求した監察官が逆恨みで劉備を貶めようとしたのを、張飛がブチのめした…なんて事にされてますし。
(正史見る限りでは、面会を断られた事に腹を立てて劉備がブチのめす…という聖人君子とは程遠い事模様)
演義で結構改造(改悪?)されたのは趙雲も同じですが、そんな彼と比べるとイマイチ馬超の人気が無いのはやはり正史の行動があまりに(悪い意味で)目立っているからですかね。
曹操への叛乱は関中軍閥の1人としての立場諸々を考慮するとまあフォローできなくもないものの、馬超の行動で本当に不味かったのは、降伏した韋康を生命を保証すると言っておきながら殺した事かと。
(何故か演義ではこのエピソードはしっかり再現されているが)
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.44 ) |
- 日時: 2021/07/10 21:55
- 名前: JIN
- あの曹操に敗れてから劉備に起伏するまでの馬超の動きは一番気が滅入るくらいですからね。
特に自分も敵の家族も殺し合い、最後は部下も家族も寒中に置き去りにしてしまうし。
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.45 ) |
- 日時: 2021/07/11 23:02
- 名前: JIN
- あと日本と中国の三国志人気で言われるのは趙雲の人気が関羽よりも上という点か。
横山漫画でのファン投票でも諸葛亮に次ぐ二番手を常にキープしてましたし。
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.46 ) |
- 日時: 2021/07/13 19:20
- 名前: Ryu
- 劉備に帰服した後は、それまでの暴れっぷりが嘘みたいに目立つ功績も挙げられず、50前で病死していまいましたからね。
結果的に蜀漢としては、当初は馬超のお供感覚で付いて来た馬岱の方が、(演義では)要所要所で主力として働いてくれた事に。
まあ将軍位としてはトップクラスである驃騎将軍に任命されたりと、決して冷遇されていた訳ではないでしょうが。
(そもそも正史劉備は馬超の武勇より、西涼方面の異民族達との伝手を期待していたとか)
趙雲と言えば大体の創作物でイケメン扱いされる事が多いですが、横山版では(連載当初は資料不足な事もあって)「ドカベン」と揶揄される容姿でしたね。あれはあれで良いとも思いますが。
ただ趙雲=イケメンは清代の頃から、京劇とかで「蜀側の主要人物でイケメン枠がいない」→「誰をイケメン枠にする?」→「知名度はあれどまだ固定されたビジュアルイメージのない趙雲にするか」みたいな感覚で決められたとか。
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.47 ) |
- 日時: 2021/07/13 19:47
- 名前: JIN
- 馬岱といえばなんといっても魏延を斬るくだりが有名ですよね。
魏延もまた毀誉褒貶する武将でしたが。
礼儀正しいはずの趙雲だけに、第一次北伐で外されかかった時に激昂するのが強烈でしたね。
まあ三国志で老将となれば黄忠のイメージですが。
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.48 ) |
- 日時: 2021/07/15 07:00
- 名前: Ryu
- 魏延の(演義での)扱いは、良い所も悪い所もあって何だかなぁ…という感じでしたね。
ただ「諸葛亮被害者の会」を結成したら、確実に蜀代表として選ばれるでしょうが。
(因みに魏代表が曹真、呉代表が周瑜)
現地中国でも、老いても元気いっぱいな様子の老人の事を「老黄忠」と呼ぶらしいですからね。
あと三國志で「老将」と言われるとパッと誰が思い浮かぶかとなると、同じ蜀だと廖化、呉だと黄蓋になりますが、魏はあまり思い浮かばないというか。
昜だって蜀滅亡(そして自身の死)の頃は確実に60歳超えと、「老将」の部類にいるんでしょうが。
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.49 ) |
- 日時: 2021/07/16 19:41
- 名前: JIN
- 諸葛亮と魏延の対立については、三十年戦争でのオクセンシェルナとベルンハルトを思わせる面もありますね。
どれだけ優れていても丞相(宰相)は君主ではないって。
せめてもの演義での魏延の一番の晴れ舞台は、やはり漢中での戦いで曹操の前歯を折った場面か。
魏で老将となると、敢えて言えば北伐期の張コウでしょうか。
演義では散々な目の彼ですが、実際に街亭で馬謖を叩きのめしたのは彼だったんですよね。
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.50 ) |
- 日時: 2021/07/18 12:51
- 名前: Ryu
- 演義だと街亭の戦いに司馬懿も総大将格として関与してますが、実際の彼が本格的に諸葛亮と対決するのは曹真病死後からでしたしね。
しかし張コウと言えば、何と言っても吉川版で3回も殺されたのがやたら印象に残ってますが。
諸葛亮の第一次北伐は、演義だと馬謖がやらかすまでは…という感じでしたが、実際は初動で何郡か制圧して以降はそこまでパッとしなかったというのが実情。
それから第一次以降の北伐も曹真(並び後任の司馬懿)の前に、蜀側もさしたる戦果も挙げれず止まいで…ある意味魏が蜀を舐め切っていた第一次(それも最初の頃)が最初で唯一の機会だったのかと。
(ただ仮に街亭の敗北が無かったとしても、結局補給線の問題で蜀軍が撤退していた可能性が高い気が)
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.51 ) |
- 日時: 2021/07/18 22:37
- 名前: JIN
- 張コウは三度死ぬというところが、吉川氏の魏陣営への思い入れの無さを語っている感じですね。
曹操以外は語るに足らないって。
安能氏の解釈としては、第一次で隴西諸郡を取ったのも、むしろ益州防衛のためだとやってましたね。
ただしそれを表向きに出せないため、魏延の不満が段々高じていくわけで。
|
Re: 『三国志』についての考察、感想 ( No.52 ) |
- 日時: 2021/07/20 21:17
- 名前: JIN
- あと第一次北伐のキーマンだったのが孟達ですが、思えば彼と法正と張松が劉備を益州に迎え入れたんですよね。
後世の蜀贔屓でも正当化が難しい益州侵攻だっただけに、ある意味では、ホウ統も加えた彼ら四人が汚れ役を引き受けて早々に消え去ってくれたという印象も。
|