[1] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/12/6 22:27 (Sat) No.6
貞本版から外れた話題なので、別スレッドに。
「破」でしたっけ?2作目の新劇場版。
一応、ちゃんと劇場まで見に行って、「綾波だけは絶対助ける!」とのシンジの言葉に
「…その言葉をずっと待っていた…」との感慨を覚えたのを覚えています。
ただ、同時に、なんかしっくりこなかったんですよね。
「これ…ほんとにシンジ?」て感じかな?
で、実はそれを最も感じたのが「破」のレイ。
「ポカポカ」って……レイ、言うかなぁ?
と、同時にどこの台詞だったか、今思い出せないんですが、
林原さんのアテレコにもちょっと違和感感じたんですよね。
なんか上滑りしてる、っていうか「レイ」じゃない感じが
したんですよね。
で、そこで逆にちょっと悟ったっていうか諦めた、っていうか、
別に怒りとかじゃなくて「そうだよね」って感じ?
つまり「これは、私の追いかけたエヴァ/綾波レイじゃない」って
なんか素直に納得しちゃんたんですよね。
で、実は同じ感じを「序」でしたっけ?1作目の新劇場版の
とあるシーンを見た時にも思ったんです。
そう、その「微笑み」
なんか、凄い違和感あったんですよね。
で、これ、自分で絶対「正しくない」って思うんですが、
やっぱり私の中でデス・リバでの「微笑」が絶対的な物に
なっていて、あれが私の中の「綾波レイ」の基準的なものに
なってる気がします。
確か1作目のパンフか何かにも記述があったと思うんですが、
あの「微笑」って、今回描いた人、描き直すのはもの凄くプレッシャー
だったらしいですね。
個人的な思いなんですけど、やっぱり制作側にも、あの「微笑」って
ある意味で過去の「綾波レイ」を象徴するものだ、てな感じのものである、
って認識はあったんじゃないかな?と。
で、それを敢えて貞本さんのテイストとはちょっと違う(と、私には
思えた」絵にしたところに、今回の新劇場版って存在は有るんじゃ
ないかな?って思いました。
つまり……やっぱり新劇場版は、あの夏のエヴァとは別のものだ、って。
で……だからなんですよ、多分「Q」で、あんな展開になってた時、
なんか妙にほっとした、て言うか「あぁ、やっぱエヴァなのね」って思って
ちょっと嬉しかったのは。
さて、最後の4作目ではどうなるのやら。
[2] 投稿者:とおりすがり 投稿日時:2014/12/24 23:35 (Wed) No.8
全然関係ない話&ちょっとだけエヴァ
元々はアコギ弾きなのに、バンドではKyb担当、たまにGr弾くときもE.Grだった私の最も好きだったPlayerは青山純というDrammerでした。
70年代から90年代頃までの山下達郎のほぼ全ての作品と全てのツアーに参加し、Bassの伊藤広規氏と二人でのリズム隊は、恐らく今でも、そしてこれからも決して超えられる事の無い日本のPOPS界で唯一無二のリズム隊だったと思います。
そして「だった…」と過去形なのは、青山氏は昨年12月に突然この世を去ってしまったからです。
そんな山下達郎氏ですが、実はここ青山氏が無くなる以前から、ここ数年のツアーには青山氏は参加していませんでした。曰く「青山氏がMISIAのツアーのコアメンバーになっちゃから」とか「達郎の3時間半のステージが体力的に無理だった」とか言われていますが本当のところは解りません。
そんな青山純が使えない山下氏は、とうとう今から5〜7年前のツアーからは青山氏を諦め、若手の、それも一般的には全く無名に近い小笠原拓海というDrammerを抜擢しました。
初めて新人・小笠原拓海が参加した山下達郎バンドの音を聞いた時は、それはもう違和感の固まりでした。細かいことは省きますが、もう自分の中で鳴っている「タツローサウンド」と全然違う。当時はまだ青山氏は存命中でしたし前記したMISIAのツアー等には参加していたので、正直「やっぱ青じゅんでなきゃ駄目じゃないかなぁ……」って思ったりしてました。
ただね……そうは思っていても、一部の曲で「あぁ、こういう風にもできるんだ…」って思ってたりしたのも事実。「なんか曲が若返ったな。」って感じる曲もあったりしました。
でも、正直、あんまり受け入れたくは無かったかな?
やっぱり、タツローのバックのリズムは青山でなきゃ、って思ってたな。
そしてそれは多数の山下達郎ファンが等しく感じていた感覚のようです。
そして、青山氏が急逝して、二度と決して「青山/伊藤」のコンビでのリズム隊が復活することはなくなりました。
そんな中、山下氏が自身のラジオ番組での青山純の追悼特集を行った時に語った言葉があります。
以下、少し長くなりますが以下に引用します。
ありゃ?
入らないや。
分割すっか。(なんか懐かしいな)
[3] 投稿者:とおりすがりのつづき 投稿日時:2014/12/24 23:49 (Wed) No.9
で、以下山下氏の言葉の引用から
----ここから-------
今まですね、色々なお便り頂いているんですけども。
何度か、演奏メンバーを替えて参りました。
その度にですね、先週もちょっと申\し上げましたが、スタッフにも反対されましたし、以前の方が良かったと保守的なお客さんも大勢いらっしゃいました。
現在ではですね、押しも押されぬトップドラマーであります青山純という人ですら、彼を私が起用した当初はですね、スタッフや聴衆から、なぜそんな無名のミュージシャンを使うのかと反対されたり・・・攻撃されたりもしました。
お客さんの中には、文句を言ってですね、それ以来来なくなるという方もいらっしゃいました。
同じような事が何度か繰り返されて現在に至っております。
今も、そうした情勢が、あまり変わりありません。
(中略)
それは、まあ、芸事というのは、観る側にとっては自分の歴史の投影、自分史ですね、自分史の投影、自分史の対象化、そうした結果であります。
歌舞伎とか伝統芸能\、落語なんかの世界ですとですね、必ず先代は良かった、と。
お前の芸なんて、先代に比べれば・・・という
そういう昔はよかったというですね・・・
まさに自分史の反映としての芸事の評価というのが、昔からございます。
ですが、古い世代というのは新しい世代に対する寛容さというのを常に持っていなければならないと、僕は常に考えております。
若い世代がですね、いつの時代も続々と生まれて来ます。
我々古い世代は、それらの若い新しい才能\を見出して、抜擢し、助けて、陽の当たる場所に引っ張り出してあげなければいけません。
しかるに、多くの業界人、それから耳の肥えた聴衆とか、お客さんですらもですね、自分に馴染みのある、自分たちにとっての、すなわち自分史の反映としてのですね、一流、有名ミュージシャン、そうしたブランドを金科玉条と崇めまして・・・
『昔はよかった』
『俺達の時代はよかった』
『それに引き換え、今の若いものは・・・』
しばしば、そういう事を口にします。
えぇ・・・私のライブに関しましても、ここ10年間青山君がいませんので「そんな青山純がいないライブなんて」という方がですね、少なからずおられるという・・
私、よーく承知しております。
別に、そういう方々にですね、再び来ていただこうとは思いませんがですね。
--------ここでもっかい分割--------------
[4] 投稿者:とおりすがりのつづきのつづき 投稿日時:2014/12/24 23:51 (Wed) No.10
残りあとちょっと
----ここから引用の続き---------
ただひとつはっきりさせて、おかなければならないことは、今まで私を手伝ってもらったドラマー、上原裕、村上秀一、そして青山純、そして現在のパートナーであります小笠原拓海という、皆優れて卓越したドラマーであります。
他にもスタジオやライブで縁のあった林立夫さん、高橋幸宏さん、知己ではないけれども最近ですと吉田佳史さんとか、玉田豊夢さんとか、素晴らしいドラマーが今も昔も沢山存在します!
彼ら一人一の誰もが、それぞれにプレイヤーとしての個性や特殊性というのを有しておりまして。
それらはもとよりですね、優劣の比較対象にはならないものであります。
したがってファンのひいき、あるいはひいきの引き倒し・・・
何度も申\し上げております自分史の反映・・・
そうした次元でのですね、誰が誰より優れてるとか、劣っているとかいう、そうした無意味な評論家ごっごはもう、もとより私はなんの興味も持っておりません。
友達の死というのは、たいへんに悲しいし、残念な現実ですけれども。
それでも我々は生きていかなければならないし、音楽を続けていかなければなりません。
青山純の数多の名演というのはしっかり記録に残されております。
残されたものは、去っていった人々のですね、思いを受け継ぎながら音楽を続けていかなければならないと思っています。
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…さて、凄く長くなりましたが、上記引用の中で山下氏が語っている「自分史の反映」あたりの話。
これ、じつは私が新劇場版を観る時に気をつけたいな、と思っていることだったりします。
つまりは「出来るだけニュートラルに受け入れよう、自分の持っているエヴァであったり綾波レイとは違っていたとしても、それはそれとして受け入れ、感じて、考えよう」ということかな?
そして、確かに「なんでまたエヴァを作ってるの?」という思いはあるにせよ、それでもやっぱり「真剣に作品を作っている庵野監督はじめ関係者諸氏の投げてくるボール」は、出来るだけニュートラルに受け止めたいな、って思ったりしてます。
……と、強引にエヴァ話に繋げたところで。
青山純にしか出せない8beatで奏でられる
「Christmas Eve」を聞きながら。