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高知新聞 矢野絢子の連載「うたの四季」

[1]投稿者:TOMOさん 投稿日:2005/04/11(Mon) 17:00 No.168  
 1月から連載予定の「うたの四季」について、高知新聞に他県での単発購読が可能か問い合わせをいたしました。連載は朝刊のみで月1回の最終土曜日になるそうです。
 代金は1部(朝刊)¥165円で、事前に購読登録をしていれば、掲載日分のみ郵送していただけるそうです。その際に郵便局の支払い用紙も同封されてきますので、お代は郵便局の窓口にてお支払いという事になるようです。他にも代金分の切手を高知新聞に送る方法や、郵便局などでの購読じ動振替もあるようなので、詳しくは高知新聞しゃ販売局企画管理部にお問合せください。
高知新聞しゃ販売局企画管理部
TEL 088−825−4025
メール hanbai@kochinews.co.jp
住所 〒780−8572
高知市本町3丁目2−15 高知新聞しゃ販売局企画管理部

2005年1月29日発行の高知新聞「うたの四季」より転載。

第一章「コイビト」


 延々と続くくねくね曲がった堤防の行き止まり。コンクリートの階段を三段上って銀の手すりにもたれると海へと続く水の道が広がる。向こう岸には巨大なセメント工場と巨大なクレーンが十三本。家路へと急g芫の群れが西へ、空の隅には小指の爪みたいな細く白い月。桃色の薄い雲はだんだんと形をうしない、紫の影になる。日暮れ。
 この時期に短いスカートでやってきたわりには外で文章が書けるなんて思ってもみなかった。暖かい冬だ。船が通って波が騒ぎだす。私は以前何度かここに来たことがある。たいてい一人で。今日も一人。この場所で一年「うたの四季」を書こうと思う。月に一度同じ場所で同じ人間がどんな風に違う風景や心情を見るのだろう。季節の風や色や香りを見つけながら私の中にもあるうたの四季をひとつずつ一年かけて十二個見つけていこうと思う。
 今、遠くのほうで鳥が二羽くるくると円を描いてやはり西のほうへ消えた。
 一月と二月に私が歌うテーマは「コイビト」。きれいな言葉だと思う。愛情の感じ方表し方は人それぞれだけど私の「コイビト」は一人で居ても二人で居ても確かにその存在ゆ。・分の中に感じられるもので、暮らしの力をくれるもの。ある時は外側から差し伸べられる手だったり、ある時は鏡のようなものだったり。そして私のほうも同じ位の重さで力になれると信じられるもの。ゥ分以外の力なのだけど、それを感じられょD・分の中にある愛情の結晶みたいなもの。それが私の歌う「コイビト」である。
 私の歌にはいわゆる男と女のラヴソングは少ない。性格の問題だと思うが、惚れたはれたの葛藤に振り回されるのがとても苦手だ。苦手だということは振り回されやすいのかもしれない。でも大切なものゆ。ッわないためには想いと月Dソのバランスを保たなければならないと思っている。
 だから普遍性のない「思い」ばかりの歌は歌えなくなる。「まぁそういう時もあるけど」と照れくさくなる。以前歌の先輩に「愛に一方通行はない」と教えてもらった。相手の存在と正面から向き合って投げた「想い」は必ず等しいもので返ってくるということだと私は芽洳した。返ってきたものにズレを感じたら、ゥ分の思いにズレがあるということか。そう考えたときとてもすっきりした気持ちになった。
 誰かのせいとか、足りないんじゃないかとか、わかってもらえないとか、人と人にはそんな葛藤がつきものだけど、ゥ分の投げる「想い」をまず考えてみればもっと相手の「想い」が見えるのではないか。毎度そんなにきれいにはゆかないけれど、目の前に広がる風景を前にこみ上げる愛しさは私を喜ばせてくれる。
 右手にある小さな石造りのトンネルはすでに夜の気配をしのばせ、薄暗くなった道のふちにある落ち葉はもう何年もそこにあるかのようuDキって眠っているようだ。トンネルを覆おう木々の葉の色は暗く、枝は重そうに下を向いている。
 私は以前何度もここに来たことがある。たいてい一人で。今日も一人で。私は遠い人に手紙を書くような気持ちで、愛する人や家族や暮らしのことを思った。


2005年2月26日発行の高知新聞「うたの四季」より転載。

第二章「コイビト2」


 雨上がりの日暮れ。辺りは薄い霧がたちこめていて、濃い空気の中にほんの少し甘い匂いがする。二月。空と川とが同じグレーがかった水色にとけて、向こうの市場の灯りがまるで幻想みたい。僅かに僅かに体に染み込む寒さが去る冬の波紋のようだ。トンネルの向こう側では外灯が三つ。ま白い灯りを掲げてうつむいている。
 堤防の上にしゃがみこんで柔らかい水面の波を見ていると、すぐに近くの草陰からしゃがれた猫の声がした。私がこたえて「にぁお」と言うとそれっきり声が聞こえない。
 そういえば夕べ夜遅く家に帰る途中、道の真ん中で猫が死んでいた。丁度顔を、真っ直ぐこちらに向けて開いた二つの目が、クルマのライトにはんしゃして緑にピカッと光ったのでとてもびっくりしたのだ。ずぶ濡れだった。
 私はあれがじぶんちの猫の最期だったらと考えて少し寂しくなったが、すぐにやめてあれは「女」だ、と思った。女のひとつの恋愛の死に様だと。
 思い出したのは、この一月二月と私のライヴに同日出演であった黒野菜々子氏の一人しばいだ。だざいおさむの「女の決闘」という話の一部を彼女がしばいにしたもので、芸術家の男とその妻、男の愛人である女医学生の話。ここでその詳細は語らないが、結局最終的に皆がてんでバラバラな思いのまま思いつめて死んだ。悲劇的で非げんじつ的だが、愛に生きる女の姿を見事に描いている。
 その中で私の好きな言葉がある。「女は玩具、アスパラガス、花園、そんなものではない、あれだ……猫だ。……にゃーにゃーにゃー」もちろん芸術家の男の台詞である。
 なるほど。どっちらかというと女は猫、男は犬かもしれない。恋愛においては特に。私の家の犬は二匹ともスタイルが良い。猫は二匹太っている。気をつけなくてはいけないな。
 人は生まれてから死ぬまでにあらゆるものを産み落とす。歌だったり、青春だったり。そしてその中で最後まで、じぶんの死の床まで持ってゆけるものは数少ない。ひとつもないかもしれない。じぶんが生きているうちに終わってゆくものを数限り無く見届けねばならない。
 私の今までの恋の死に様はどんなだったかと考えてみる。大往生とまではゆかなくても。雨のアスファルトにずぶ濡れで目を開けて死んだ猫。それでも立派な恋だった、生き抜いた、と誇れるような恋愛でありたいものだ。そして、最後の恋がじぶんの死の床の傍らにいてくれたら、それは女として最上の人生だったといえるだろう。
 背後の草陰で「ギャー」と悲鳴にも似たニ匹の猫の声。恐ろしや。女の決闘です。私は急いで帰り支度をした。
 霧はますます濃くなり、辺りはまるで小説のなかのように静かに満ちている。今晩ももう一雨きそうだ。


2005年3月26日発行の高知新聞「うたの四季」より転載。

第3章「夢くきくき1」


 銀の手すりがキーンと冷えている。夜はまだ冬との別れを惜しんでいるのだ。夜、この場所を訪れたのは初めてのことかもしれないと、波の音を聴きながら思った。
 ちゃぷんたたんとんぱちゃん。
 まるで大きな見えない手が水面をゆっくり撫でているように非常に心地よく優しい音が響いているのに驚いた。昼も静かなこの場所でも夜にはもっとよく聴こえるものがあるのだな。
 一軒だけある道向かいの家の中ではやはり今日も犬がわんわん騒いでいる。私のいることを知っているのだ。空より黒い木々の上には星が丸く空に張り付いて、まわる音が聴こえるようだ。
 カタタン、カタタン
 とピアノみたいに。
 夜の音の世界。昼間うごめいていた物たちもひっそりと息を潜めてみみを澄ますしかない。そして澄ましたみみに聴こえるものは全て「じぶん」。以前の私の案外じっと何かを眺めたり、澄ましたりすることの出来ない人だった。星空や月を見ても心の中で「ウーム」となってしまうのだ。一人でどうしたらよいのかわからなくなる。頭の中がいつも考えばかりでいっぱいだったのかもしれない。そこで師匠に言ってみた。
 「月を見たらなんだかボーっとして途方にくれるのです。」
 すると師匠はこう言った。
 「目に映るものをそのまま文章で書いてみるといい」
 早速ある月夜の晩に店の前にノートを広げてペンを持ち、ぼっかり出ている月の前に腰下ろしてみた。じたくの次に毎日よく通る場所である。月とその背景である空。そして道路やレストランのネオン、行きかうくるま、家々とマンションの明かり、外灯と信号。
 しばらくじっと見て、言われたとおり見たままを言葉にして書いてみた。すると目で確認するのと文字に書き取るそれは同じはずなのに文字にしようとすると全てがひとつの絵画のように物語になってゆくのだ。
 例えば外灯の灯りがしょんぼり疲れて優しい灯りに見えたり、木々が眠っているようだ、とか月は満足している、とか。どうしてもその様に見えてくるのだ。面白い。
 その時心からじっかんした事が「物語はどこかしこに溢れている」ということ。見えないのでなく、見ていないだけで、この目が映すものの中に確かにじぶんというものがある。それが物語りになって次々と表れてくるようだ。
 「投影」。人はぼんやりなにを考えるでもなくどこかを眺めていても、よく見るとそこにその人の感情や気持ちを投影して見ているのだと思った。
 「夢くきくき」は人が見ているようで見ていない、見ていないようで見ている、小さな、しかしいつでも続いている物語を歌う。子供の頃の目線は大人になると忘れてしまいがちだが、何かの拍子にぽんと出てくる時がある。
 押入れの冒険、階段の御伽噺、そういった目線は私をドキリとさせる。静物や風景が動きだし、もの想い、暗闇の中に聴こえてくる。一人にひとつ、でなく一人に無限の物語の中へ。

道向かいの家の主人が帰ってきた。再び犬がわんわんわん。私もそろそろ家に帰ろう。遠くにこはく色のアーチが見える。橋である。外灯のオレンジと白、ヘッドライトの流星。夜、あらゆる光を滲ませて波はうねり、音楽を奏でる。誰の為でなくその音楽は続いてゆく。
 ちゃぷんたたんとんぱちゃん
おなまえ
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