[1] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/11/23 21:37 (Sun) No.3
なにせ7年振り。もう触る積もりはなく、ローカルマシン上からClassic環境が無くなって以来、それこそHTMLエディターも、FTPツールさえも無く成って久しかったのですが、ふと「あぁ、そういえば……」と思って立ち寄った書店で14巻を入手し読んだら、忘れていた何か?が動き出し、気がついたらUPLOADまで辿り着いてしまいました。
正直、こんなに心が動くとは予\想してませんでした。
この間、勿論、新映画版は観てます。
流石に「序」でレイが初めて出てきた時こそ涙腺が緩みましたが、その後、どことなく微妙な違和感を感じ、今一つ入り切れない自分がいました。
(あ、でも「Q」でのあの展開は私の中の”エヴァファン”な部分として、もの凄く嬉しかったけど。)
色々な方々に対する申\し訳無さと共に、日々の忙しさと、冷えしまった自分の中の思いを見つめるにつけ「あの娘のことを、あんなにも考えることはもうないのだろう」と思っていました。
それなのに……動かない絵の力って凄いですね。
今回のファイルの中にも書きましたが、P80とP109〜P111のレイを見たら、もう色んなものが込み上げてきてしまって、どうしても何か書き留めたくなってしまい、今に至ります。
とはいえ、なにせここまで放置したHP。
今更、ここから外に出て何かするつもりも無いので、きっと、ずっと誰の目にも触れずに行くのだろうと思います。
でも、それでいいです。
なんとなく、自分として、一つの区切り、本当はもっと前にキチンと行うべきであった「何か」を行うための第一歩であり最後の一歩として、ちょっとの間だけ、思いついた事を書いておこうと思います。
[2] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/11/27 01:48 (Thu) No.4
本編、ではなく本物……そう、本物の「綾波レイ」てどのレイなんでしょうね?
とっくに現役を引退した「エセ綾波論者」として語るのなら「それは各々の方の中に存在するんだとおもいますよ」と言うのですが、そうでは無く、なんていうか、一般的な意味で、っていうか、共通認識とで言う「綾波レイ」。
それはやっぱりTV本編の「綾波レイ」なんですよね、多分。(あぁ、でもやっぱり「私にとって」なのかも、だけど)
で、ちょっと途中を省くと、やっぱり貞本さんのレイも、その意味では本物では無いんですよね、多分。
TV本編のレイってやっぱり庵野一派(なんじゃそりゃ)のレイなんですよね、多分。
それは多分、やっぱり「ヲタクに捧げられた花嫁」なのかもしれないし、アニマなのかもしれないし、徹底的に物語に利用され尽くしたキャラなのかもしれないけど、結果的には最も一般的に支持されたのはこのレイなんですよね。
だとすると、やっぱり一度、そこへ、TV本編へ戻るベキなんだろうな、って思うのですが、果たして昔の用に感じることって出来るのかな?
(最近は全くだけど)数多のSSを読み、たくさんの考察に触れ、そして多くの時間が経過した今、TV本編も改めて見た時、昔と同じようにレイを感じることが出来るのかな?
いまでも台詞は覚えているし、シーンも少しが考えれば頭の中で順番に並べられるけど、でも、あの頃と同じ感覚を取り戻せるのかな?
取り戻す必要なんて無いことは解ってるけど、ちょっと怖い気もします。
………と、自分としてはTV本編があくまで「本物の綾波レイ」と基準を置いた上で、今後少しだけ、貞本さんのレイについて書き残したいな、って思います。
(さて、本当に書けるのかな?:笑)
[3] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/11/30 15:52 (Sun) No.5
う〜ん……やっぱ長い間書いてないと、何をどう書けば良いのか解らなくなりますね。
つらつら色々書き出してはみているのですが、どうもうまく纏まらない、って言うか、書いている内に、何か書いてたんだか解んなくなっちゃう。
なので、一回あきらめて、
今月号の「Cut」という雑誌に貞本さんのインタビューが掲載されており、一部結構\「へぇ〜」って内容もあったのですが、その中で一番驚いた、っていうか意外だったのは、貞本さん、結構\はっきり明確に漫画版のレイとシンジの関係を「男女間の恋愛」て言ってるんですよね。で、その前段では、テレビ本編でのシンジのカップリング対象はアスカだったとも述べてます。
まぁ、古い言葉(なのか?)で言えば、TV本編はLASだったけど、漫画版はLRSだと明言してるんですよね。
最近はよく知らないけど、貞本さん、このあたりに関してはあまりはっきり言わない人だった気がすので、結構\驚きました。
またアスカにかんしても「そんない良いかなぁ…って思ってみてました」みたいな発言もあって結構\こちらも驚きました。
まぁ、これを単純に「貞本さんはレイ派で庵野監督はアスカ派」みたいに分類すると、また話がややこしくなるんでしょうけど、結局この差って両者が持つ「シンジのイメージの違い」なんでしょうね。
恐らく、貞本さんはヤシマ作戦の流れからだと、シンジとレイは普通にお互いの存在を意識するよういなる、って考えたんでしょうけど、庵野さん(一派)は「それは無いな」って考えたみたいですね。
……ただ、今、改めて思うんだけどTV本編で、虚数空間から帰還したシンジが病院に入院してた時
レイがやってきて「今日は寝ていて、あとは私たちで処理するわ」って箇所があったと思うけど、
女の子からあれ言われたら普通、結構\嬉しくて以降意識するようになりそうな気がするんだけど、
そうは成らないのが庵野版だったんでしょうね……
……、とも少しリハビリらしきものをしてみますか。
[4] 投稿者:通りすがり 投稿日時:2014/12/15 01:43 (Mon) No.7
ちょっとだけ。
TV本編に関して「あーでもないこーでもない」考えてた頃の疑問の一つに
「レイってホントにシンジ選ぶのかなぁ?」ってのがあった記憶がある。
つまり…もの凄く乱暴\に言うと、TV版のシンジって、結局レイに何かを与えた
ことって「笑えば良いと思うよ」くらいのもんで、以降、そもそもロクに話も
していない(=描写が無い?)
なんだけど、TV版のレイって、なんか「シンジ大好き」的な「位置」に置かれて
しまった気がするんだけど、よくよく考えるとちょっと不自然な気もしてた
記憶がある。
…て、考えると貞本版って結構\、キチンと描写されているような気がします。
でも、これって一面「当たり前の話だ」ってことで、表\現として(創作物?)
としての「個性」って意味では、やはりTV版にかなわない、ってことかもな?
とかとも思ったり。